小石川後楽園Koishikawa Korakuen Gardens
都民には「水戸黄門ゆかりの名園」としておなじみの小石川後楽園。
江戸時代初期、水戸徳川家を興した徳川頼房が中屋敷として着工したもので、二代目藩主光圀の時代に完成しました。
庭園は中央の池をぐるりと回る「回遊式築山泉水庭園」となっており、国の特別史跡・特別名勝に指定されている園内には貴重な文化や自然があちこちに。
春はウメ、ツバキにサクラ、カキツバタ、夏はハスにアジサイ、ハナショウブ。
秋にはヒガンバナが咲きみだれ、モミジやハゼノキが見事な紅葉を見せてくれます。



光圀は造園にあたり明の遺臣、朱舜水を登用。
中国らしい風物を取り入れつつ湖、山、川、田園など異なる景観を巧みに融合し一つの庭園として表現しました。
中国らしい風物を取り入れつつ湖、山、川、田園など異なる景観を巧みに融合し一つの庭園として表現しました。






水面に映る形が満月のように見えることから命名された、朱舜水が設計した「円月橋」。
光圀が18 歳の時に読んだ『史記 伯夷列伝』に感銘を受けたことから、伯夷・叔斉の木像を安置したという「得仁堂」。
中国・杭州の西湖の堤に見立てた「西湖の堤」は、日本各地の大名庭園に多大な影響を与えました。
中国趣味と日本各地の名勝を美しく調和させた小石川後楽園は、都市化が進む東京の貴重なオアシス。
江戸から明治、大正、そして昭和へと続く文化や自然をいまに伝えているのです。
光圀が18 歳の時に読んだ『史記 伯夷列伝』に感銘を受けたことから、伯夷・叔斉の木像を安置したという「得仁堂」。
中国・杭州の西湖の堤に見立てた「西湖の堤」は、日本各地の大名庭園に多大な影響を与えました。
中国趣味と日本各地の名勝を美しく調和させた小石川後楽園は、都市化が進む東京の貴重なオアシス。
江戸から明治、大正、そして昭和へと続く文化や自然をいまに伝えているのです。






2016年9月 文:倉石綾子 写真:山口靖雄